人を見たら神様と思え…ますか?
こんにちは😇タルタルです。
人を見たら神様と思え…ますか?
誰の言葉かは忘れましたが、「人を見たら神様と思いなさい」というのが私の頭の片隅にあります。要は、出会ったその人の良し悪しに関わらず、その人から教えてもらうことはたくさんあるよ。というような意味だと思うんです。
が、しかし、人間ができていないタルタルは「えー、そんなの出来ないよ。」と思っていました。だって苦手な人いるもん。苦手な人を神様とは思えないって。
でも、その苦手な人もやっぱり神様なんですね。だって、その人は自分の嫌なところの鏡かもしれないし、その嫌な経験も次では同じ轍を踏まないための勉強となるからです。
しかし、苦手な人と何だか不穏な空気の最中はやっぱり神様だなんて思えませんよね。
頭ではこの経験はきっと自分に必要だったんだと分かっていたとしても苦手な相手=神様というのがやっぱり出来ないです。すごーく時間が経ってああいうこともあったな。あの時はこういうことを学ぶ必要があったんだなと思えるようになると少し受け入れもできるようになってきますけどね。
そんな私ですが、ちょっとその見方が変わってきました。
たまに私がこの人人徳のある人だな〜と感じる人がいます。それは誰にでも平等に接する人です。意外に少なくありませんか?そういう人。どんなタイプの人が来ても自分を変えずに接する人。そういう人、私は今まで2人しか会ったことがありません。少なすぎる?私の交友関係も狭いので、本当にこの人人徳あるなって感じた人達はこの2人なんです。
分かっていてもなかなか自分には出来ないですが、この人達の共通点は人の良いところを見ること。そしてそこを好きになること。表面だけいい人をしているのは案外すぐに見破られます。でも、ほんの少しでも相手の良いところを見て好きになるとたちまち相手もその人達を好きになるんですね。素敵な連鎖です。
これも「人を見たら神様と思いなさい」なんだろうなぁ。と思います。
そして、これは年齢的なことなのでしょうか?子どもを通じて接するママさんやいろんな人とお話をするとこの人すごいなって思うことが多々あります。するとスッと上記の「人を思えば神様と思いなさい」が入ってくるんですね。これはありがたいです。
自分のことだとやっぱり我が入ってくるから素直に思えないのでしょう。子どものことだと一つ置いて見られるからなのかもしれませんが、ありがたいなって最近思いました。
まだまだ修行が足りないタルタルですが、ヨボヨボばあちゃんになった時に孫に「ええか、人を見たら神様と思いなさいよ」と言える境地までに達していたいな、と思う今日この頃でした。
Life Is Good !